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休日のはず。

血祭り1日目。本当に精神が不安定。昨日どうも落ち込むなと思っていたらこれだ。無理もない。


子供が嫌いだ。昨日から思ってる。毎年思ってる。

毎度、バイト先で子供を見るたびに思う。子供が嫌いだ。どうしたって好きになれない。

可愛い、と思った瞬間はあった。幾度か。

でも嫌いだ。

そういうとたまに、みんな子供だったんだよ、と言われることがある。これは珍しく、自己議論だけじゃなくて実際にも言われたことがある。

何を当たり前のことを言ってるんだ。そんなの知らない人がいるのか。

子供の私が1番大嫌いなんだ。もうほとんど覚えていないけれど、たまに断片的にでも、思い出すと本当に、嫌になる。いやなやつだった。お父さんもお母さんも、姉も、よく育ててくれたものだ。すごい。

なんとか育った結果がこれだ。すこしくらいは孝行したいと思う。

子供が嫌いなのは、やかましいのも一つの原因だ。バイト先だと本当にすごい。金切り声。泣き声。大声。急に呼びつける。座布団を全部引っ張りだす。リトルモンスターたちだ。すごい。その体力をわけてくれ。

だからって、大人しくてききわけのいい子でも、嫌いだ。可愛い子、素敵な子だともっと駄目だ。これからどんな人生を辿るのやら。そう考えてしまったら嫌で嫌で仕方ない。見ていられない。すごくいい人に育って幸せだけが待っていますと保証されるマークが頭の上に出ていたら、どんな子でも嬉しく見ていられる。

いや、あの金切り声と障子を破るのはいやかな。怒る。


人格を疑われそう。疑ってくれ。存分に。私はかけらもいい人なんかじゃないのです。


褒められたら調子にのってだめになる。そういう人間です。高校一年生の頃に担任の数学の先生に、調子に乗るから、あんまり褒めないでください。っていった。僕はそもそもそう褒めない人間だから大丈夫。といってくれた。すごく素敵な先生だった。卒業するころに、一年の時にお前はもうほとんど完成していたからなあ。と言われた。何故かそれを誇りに思ってしまう。できた人間だと褒められたのかもしれない。先生、やっぱり私って調子に乗ってしまうのです。そればかり反芻して生きているようなお調子者。

でも嬉しかった。


本当にすごい先生だった。


二度は会いたくない。会いたいけれど。


どうしてみんな幸せにならないんだ。恨むぞ。世界。というか自分だ。

誰かを素直に愛せないなら、素直に尊敬できないなら、自分がうまく受け取れるはずがないじゃないか。

みんなどこかしら、素敵なところがある。尊敬できるところがある。自分のできないところができる。絶対にあるのだ。なんだわかってるじゃないか。

なのに、どうしてそんな。


綺麗な人になりたかった。もっと。


先生のことを書いていたら本当に泣いてしまった。情緒が不安定だ。

なかなか最近は泣くことはないのに。というか別に泣くほどのことでもないのにな。


声上げて泣くとかじゃなくて自然に溢れるものじゃないと、嘘くさくてどうも、できなくなってる。そんなの嫌だ。嘘くさいなんて馬鹿げてる。泣きたいなら泣こうと思って、頑張って泣きじゃくって大声で叫んで泣いたらいい。なのにどうしても嫌がるやつがいる。勘弁してください。泣くぐらいかまわないじゃないか、ただすこし目が濡れるくらいのものなのに。何が嫌なのか。

でも、どっちも嫌なんだ。

自然な衝動以外のことをするたびに、どこか、毎回裾を引く奴がいる。


文章を書いていても、見返して、変な文になっていないか、変な言葉を使っていないか、綺麗なものか。自然に見返している。衝動で書いたらいいものを。


いま研究室の外に出たら、窓の先が乳白色の混ざったピンク色で、その下の海が濃くて鈍い青色をしていた。青鈍色というんだろうか。他に色の名前があるのかもしれない。ぱかっと別れていてきれいだった。


一人で生きようとしているんだから、自分一人で満足できるようにならないといけないと思っている。

でも、そうしようとしてから、どうも周りに攻撃的になっているような気がする。

どうしたらいいんだろう。

誰かに、見て!ってするのは苦手。というか、私がやるのはみっともない気がする。さほどいいものを作っているわけでもないのに。あとやり出したら際限がない気がするんだ。怖くてできない。

すこしはやってる。

というか本当に苦手で恥ずかしがる人よりはずいぶん図々しいのだと思う。でも、足りない。どうせ足りないんだから自分で満足するしかない。何故できないのか。馬鹿だと思う。

誰かにこれ以上を求めたいわけじゃないんだ。私はわりと、あるいはとっても、愛してもらってる、本当にありがとう。とても素敵なものをありがとう。ちゃんとわかってるのです。

私が馬鹿なだけなんです。


書いてて気がついたけど、自分が満足するには自画自賛を心からしなきゃいけないのに、そんないいものでもないんだから。と自制するのは矛盾している。やっぱり馬鹿だ。こいつは。

心から自分を愛してあげたい。

大変なのによく生きてるよお前は。えらいよ。


何が大変なのかは知らないけど、と卑屈なほうの野党がぽつりとしてる。やっぱりこっちも可哀想なんだよな。


いつも批判お疲れ様なんて変だけどなんか。


眠くて泣きたい。全員お疲れ様だ。理由は知らないけど。


昨日、本当にとても久しぶりに後輩の一人にあった。

私と思考の癖がすごく似ている後輩。

どんな文脈だったのか、人混みを見ると、この一人ひとりに人生があって、ドラマがあって、例えばこの人が死んでも私はどうとも思わないけどこの人にも愛する人がいてきっと悲しむんだろうな。とか考えて、吐き気がする。ということを言われて、本当にわかってしまって二人でうなずいていた。気持ちが悪い。目眩がする。そういった類の。何故かはわからない。限りのないものを見ると、人は許容しきれなくてなんでもいいから戻そうとするのかもしれない。


そんなに考えなくていいのにね。変だよね。そう言いながらまかないのご飯を食べていた。何を食べたか覚えていない。美味しかったことだけ。


感謝したい。悲しみたい。怒りたい。喜びたい。その全てが面倒くさい。


自分が、ほかの誰かの何かを吸い取って生きるくらいなら死んだほうがいいと思う。とくに大切な人は。でもそういうものだよ、とも思う。相互幇助は大切。迷惑をかけあって生きるもの。意味が、わからない。


できないものは、わかっていない。誰だっけ。無知の知を唱えた人だったと思う。


一人で生きられる人間になれたらなあ。


後輩と、思考がすごい際限なくスパイラルするけど、これすら自分がやりたくてやっているんだろうなとも考えて嫌になるという話もした。

アドラーかな。原因論より目的論。でもあの人の目的論は、あんまり救いがないから嫌いだ。


正統性でものをみないでほしい。みんな正しいところがあるのだから。正しさが飽和してしまう。何を肯定したらいいかわからない。


みんな。幸せになってくれ。無理しない範囲で。

私のために。



やめにしようと思ったんだけど、思い出してしまったから書かずにはいられない。

悪役にも物語があって正統性があってというのはいつからはやり出したのだっけ。

それがリアルともてはやされたのはいつからだっけ。理不尽、不条理劇が好まれたのは江戸時代から。もっと前から?

本当にリアルなんだろうか。世の中には全部素敵な理由があって、みんな苦悩していて、本人的には頑張って出した結論で動いているんだろうか。本当に悪いばかりの人はいるんだろうか。知ってみたいと思う。もう嫌だ、死にたいと思ったことのない人が本当にいるのか知りたいと思う。でも、知りたくないとも思っている。

どちらでもどうせ、絶望する。


曖昧なところに美しいものは隠れている。


世の中にたくさん曖昧さを残しておいてほしい。私はその中に揺蕩いたいから。残しておいたからには、私のこともゆるしてほしいとおもう。

誰に?


そろそろ実験やらないと、本当に帰るのが日付を回ってしまいそうだからやろう。

書き殴ったら落ち着いてきた。

今日はずいぶん人を殴った。たぶん。

嫌だなあ。帰って寝ちまおうかな。