ウッウが好きだ。

ウッウが好き。

ウッウというのはあれです。ポケモンのやつです。

ウッウ

 

好きと言っても、別に推しというわけではない。トチ狂うほど好きというわけではない。ただ、謎に好きだ。ウッウを初めて見た時から、謎に好きな状態がずっと継続している。

 

そもそも、私は何を考えているかわからない目をした生き物が好きだ。

例えばアヒル。黒くてつぶらな目をしている。愛嬌はあるが、何を考えているかは、その顔からはいまいち読み取れない。何も考えていなさそうな顔で転んだりしている。かわいい。

調べて知ったのだが、こういう状態のアヒル、起き上がれないこともあるらしい。見つけたら起こしてあげてください。何も考えていなさそうな顔で困っているらしい。かわいい。

 

ポケモンでいうと、ヌオーが好きだ。

何を考えているかわからない目をしている。ついでに言うと、何も考えていなそうだなあと思う顔をしている。もちもちのつやつやで、大層可愛いフォルムをしているが、目だけを見ると一体何を考えて生きているのかと思う。

何を思い、彼は手をあげてくれているのか。

 

さて、ウッウである。

ウッウもなかなかな目をしている。

なかなかな目

 

いわゆる、四白眼というやつだ。黒目の周りがポカリとあいている。こうなると、若干の狂気を感じさせる目になる。

「何も考えていない」というよりは、「何を考えているんだ」と考えさせられる。思考が読めない。

そのくせ、身体の色がド派手なのがいい。全然こちらを怖がらそうとしていない。怖さより面白さが勝る。ここでいう「面白い」はinterestingのことだ。色違いのウッウが百均のホウオウと呼ばれていることを知った時はあんまりにもあんまりな言い草に本当に笑った覚えがある。

百均のホウオウ

 

ウッウは鵜をモチーフにしたポケモンだ。鵜のことも、好きだ。推しというほどではなくても。黒く大きい羽、果敢に川や海に飛び込んでいく勢い、そして大きく迫力のある羽を乾かしている時のなんともいえない荘厳な美しさ。どことなく、好きだ。鵜には川鵜と海鵜がいる。どちらも好きだと思う、どちらがどちらかはわからないが。その程度の好きである。地元が鵜飼の身近な土地だったため、親しみ深いという理由が多いにあると思う。

 

好ましい・親しみやすい要素が二つ重なると、私はそれを好きになりやすい傾向にある。モチーフと、目。なんとなく良い、が二つ合わさった結果、なんとなく好きなポケモンになっている。

 

なおウッウには、フォルムがいくつかある。そのうちのひとつ、『まるのみのすがた』を私はとても気に入っている。

まるのみのすがた

 

ピカチュウを、よりによってポケモンの看板たるピカチュウを、まるのみにしている。そんなことある?

うのみのすがた

 

ふだんウッウは、サシカマスという魚状のポケモンを呑んで、ミサイルのように飛ばしてくるらしい。まあそれもどうなんだという気持ちはあるが、よく見る光景である。いわゆる鵜飼で、鮎を丸呑みにする光景を思い起こさせる。

それが、なぜピカチュウなのか。

 

ポケカでもこの通り

 

ウッウは相変わらず何を考えているかわからない目で、ピカチュウを呑もうとしている。なぜいけると思ったのか。どう贔屓目に見ても、その喉にピカチュウのむっちりボディは荷が重い。

ポケモンのタイプ相性には詳しくないが、調べると、ひこう・みずタイプはどちらもでんきとの相性が悪いらしい。じゃあダメだろ。反撃されたら一撃で倒されるだろ。アホか。アホなのか。

本当にいけると思ったのか、その目は

 

某動物紹介動画で見たペリカンを思い出す。ペリカンがこの世のものとは思えないイカれ方をしていることを、その人の動画で知った。ハトを丸呑みにし、確実に不可能なカピバラやキリンもいこうとする。いけると思ってやまない。目元と食欲のいかつすぎる鳥。

ペリカンは目が怖すぎるが故に好きまではいかなかったが、とんでもなく面白いと思った。そのペリカンに通ずるイカれ加減を、彼からはひしひしと感じる。

 

良い。とても好きだ。愛嬌と狂いを兼ね備えている。かわいい。ウッウ、好きだ。

 

推しポケモンは数いれど、なんだか好きで、この先きっと嫌いになる日は来ないのだろうなと思うポケモンだ。これからも元気にピカチュウを丸呑みにしていてほしい。いや、流石にピカチュウもうんざりしていそうな顔をしているから、たまにでいい。

なんとなくここ最近ウッウのことを考えていたので、一つまとめてみようと思い至った。誠に中身のない日記(日記?)になったと思う。

 

推しポケはランクルスとミミッキュとジャローダです。

現代小説が苦手

後々、自分こんなこと考えてたんだ、と思い返すときに役立つかなと思って、いろいろ書き留めてみることにしました。


現代小説があまり好きじゃない。
読んだことはそんなに多くなく、でもたまに、実家にいるときに親が借りてきた本を読んだり、おすすめされたり(たいていは貸されないと読まないけれども)、気が向いて図書館でめくってみたりする。今のところ、好きだな、と思えた本はあまりない。漠然と苦手と思っている要素はあるけれど、しっかり理由を考えてみたいなあと思ったので、考えてみます。


ライトノベル、児童文学系で、特にファンタジーものなら好きなものも多いし、なんならかなり好きかもしれないのに、なんでなのだろう。それ系で好きなものといえばキノの旅とか、ダレンシャンとか、怪盗クイーン・夢水清志郎シリーズとかがある。


現代小説というカテゴリが正しいのかもよくわからない。いわゆる、新書サイズで出る、ファンタジーでない、現実っぽい舞台のものをまとめてそう呼んでみている。嫌いなものを人に話すこともそうないのでよく知らない。有川浩さんの「キケン」は面白くて、文庫を持っている。あれ以外だとパッと好きなものが思い浮かばない。最近、会社の人に渡されて、「世界一透き通った物語」(だったか忘れた)を読んでみて、素直に面白いと思った。そう、面白いとは思うことは結構あるんだけれど、それ以降の人生で思い返すほど好きなものに食い込んでこないことが多い。それに何より、読みはじめのストレスがすごい。

 

読みはじめのストレス、で思ったこととして、近代文学だとかファンタジーだとか、そういうものは読みはじめに感じるストレスを浪漫でかき消している気がする。読みはじめたときに感じるストレスというのは、どの本でも共通している。舞台の幕が上がる前や映画を見る前に似ていて、話の展開がこれからどうなるかわからない緊張感が主軸なのだと思う。だから、そこに話の主軸とはそこまで関係のない、世界観や主人公に感じる浪漫があれば、緊張感をワクワクとか好きな気持ちでかき消して、大したストレスなく読み進めていけるのだと思う。

現代の、現実世界に似た話だとそこに浪漫が全くない。だから、緊張感からくるストレスが、ほぼ全編通して生まれてくるのかもしれない。世界観の理解、初めて知ること、風俗、そういうものにまつわる浪漫、言いかえると話の主軸とは直接関係のない引っかかりがすごく少ない。どうしても話の展開に意識が集中する。それはある意味小説としてとても正しいと思うのだけれど、そのあたりが自分があまり好きだと思えない要因な気がしている。

 

もうひとつ、私はそもそも小説を読んだときに、小説の筋そのものではなくて、小説を読んだ自分がどういった印象を持ったかといったことにしか興味がない。自分のフィルターを通して残ったものしか見られていないのだと思う。話の筋書きはたいてい、たいして残らない。記憶してはいるけれど、さほど興味がない。だから、話の筋書き以外にあまり印象がないと、好きにならないのかもしれない。
そもそも筋書きなんてあってなくてもいい。私小説が好きなのはそういう意味もある。作者の言葉に共感、感動するところがあればいい。ファンタジー小説を読んだとき一番好きなのは大概その世界にしかないものの描写だったりする。
もちろん、魅力的な筋書きがあるから、そういうところが際立つんだと思うけど。

 

とりあえず、現代小説が読めるようになったら人生楽しいんだろうなあ。品田游さんの小説が読みたいんだけど、今のところエッセイ本にしか手を出せそうにない。

そうだ、エッセイは好き。麻生圭子という人の着物エッセイとか、なんとかいった日本人の紅茶のエッセイとかは何回も読んで手元に置いた。小説の筋書きが、ものすごーく地味だったら、好きになるかもしれない。喫茶店での1日をずっと綴る小説とか。探したらあるんだろうか?大学生の頃よく生協の本屋に逃げ込んで、文庫本の興味があるタイトルを捲ったりしていたけど、大概、何がしかの事件が起きて解決していた気がする。そういうのではない。珈琲のこだわりを話したり、内装について言及したりするだけでいい。でも売れないだろうな。そういうのは大概、いわゆる現実の、何処どこの純喫茶まとめ、みたいなのが写真付きで出ているし。

 

まあ、いつかは和解する時が来るのかもしれない。いまは会社の人から借りた医療系の小説をどう処理すべきか悩んでいます。よりによって、と思っている。前貸してもらったのは現代ミステリーで、好きではないけどまあまあ面白かった。医療系は絶対に読みたくない。コードブルーのドラマを見てから医療系作品がずっと苦手。医療が苦手なわけではないし医療従事者は心の底から尊敬するけど、それをドラマとして小説や映像にされているものに強烈な苦手意識がある。何故かはよく考えたことがない。そもそも実写ドラマが苦手なのはあるだろうけど、借りた小説も、序盤だけ読んで、しばらく閉じている。

とはいえ今のところ、困ってはいない好き嫌いの範疇なので、まあいいかと思っています。

今度はドラマが苦手な理由も考えてみようかな。

しらさぎ

しらさぎに乗った。

しらさぎは普通の新幹線とかなり路線が変わっている。田園地帯や山間部、言ってしまうと田舎を通る。

えんえんに田舎の風景を見た。広大な田圃や畑や、そのさなかに走っている道路。小さい山の麓によくありがちな、紅白の百日紅が咲いている、古い家が何度か通り過ぎていった。

どこかで似た風景を見たはずだと思った。地元の風景もよく似たものだが、それでなく、既視感があった。思い出した。静岡にいた頃、何と言ったか、割合有名な電車に乗って山の中へ進んで行った。そのときの、風景によく似ている。とくに、百日紅が咲いている小屋が。あのときは春先だったろうから、たぶん百日紅ではない。梅の木だった。

そのときは友人と一緒に乗ったから、そんな風景を見て、いちいち殊更にはしゃいで見せなくてはならなかった……このときのならなかった、は、そうあれと強いられたわけではなく、私自身が人といるときに必ず陥る強迫観念のようなものだった……けれど、今は一人だ。心置きなく風景を眺めることができる。特に感想を持つこともなく、思考に耽ることもできる。

最近はどうも、崖の上を走っているような心地になることが多い自分にとって、そのことは悪いことではなかった。人生のほとんどがこうであればいいのに、と思う。

最近、一時が万事そんな感じだった。元来やる気のない性格でありながら、いつもいつも早く帰りたいと念じながら、それでも人によく見られたいと焦って、つんのめりそうになりながら崖淵を走っている。

最近でもないのかもしれない。昔から私はそういう癖があった。大した努力もない身で、人に、どうにか少しでも良く見られたいと考えて、いつ転ぶかも危うい駆け足をしている。危うい綱渡り、という表現を太宰治がしていた気がする。私が好きな理由がそれだ。きっとこういう精神は、批判されて然るべきなのだ。

勢いのいいカンナの葉が目の端を過ぎた。ああいうものを折りとってみたいという考えは、皆持つものなのだろうか。

本当の、生きている白鷺を何羽も見かける。珍しいものでもない。白鷺も青鷺も、そこここに生きている。

岩肌が露出した斜面を白鷺が飛んでいた。鳥が飛んでいるなあ、と思った。口に出したら、絵のような風景だね、という感想になるだろう。風景を絵に例える時点で陳腐だ。しかも、具体的な作者も絵も頭に思い浮かばないまま、こんな絵を見たことがある気がする、といったぼんやりとした思考でもって抱く感想なのだから始末に追えない。これも、一時が万事この調子なのだから、ずいぶんつまらないことだと思う。何をするにも何を喋るにも、はっきりとした意識や知識に裏付けされたことは言えず、望洋として、とても目の悪い人間が眼鏡を外して世の中を見たときのような、印象だけでものを言っている。印象でものごとを捉えて、印象でしゃべっている。知識がつくものでもない、新しい知見が得られるでもない。

こんな人間と喋っていて楽しいのだろうか。数少ない私と喋ってくれている友人には頭が上がらないと同時に、常に訝しんでいる。私なら、私のような人間とは喋らない。すかすかで果汁も肉もあったものでない妙な実を食わされたような心境に陥りはしないだろうか。

 

それはそうとして、列車自体はとても綺麗だった。清潔、新しさ、の面では新幹線に劣るとは思うが、どこか落ち着きのある感がある。

古いバスのような橙色の照明も、赤が色褪せて淡い臙脂色のようになった座席も、古めかしい蛇腹のカーテンも良い。ぼんやりと風景を眺めるにはこれ以上ない。

時折線路か車体かがぎしぎしと鳴って、その音も良かった。こうした自然に湧き出る雑音を煩わしく思うときと、好ましく思うときがある。今日は後者だった。最近の疲れた体がそう思わせるのかもしれない。

散々日が照っている外と、涼しい車内との間にいるのも良かった。半身がほんのり暖かく、日差しの強さがわかる。不快感だけを取り除いたような、夢の中のような夏。

そうこうしていると街中になった。

久しぶりに、思考と自己批判の感覚を思い出してしまったような気がして、書き出してみた。

思考が癖になっても良くない。書くためにわざわざ思考を深めたりしても、これも良くない。

終わりにしようと思う。

 

わざわざ難しい言い回しを使ったわけではなくて、思考しているといつも妙な日本語を使ってしまっているのをそのまま書き出した。次からは普段通りにしよう。

ひさびさの更新

久しぶりに自分の過去のブログを見たら、あまりにも病んでいてびっくりした。薄々覚えていたけど、確かに大学生の頃は事あるごとに思考が渦巻いて、それを吐き出すために使っていたんでした。

 

社会人になって、少しは生活に余裕が生まれたと思うので、たまに過去あったこととかを書いてみたいなあと思っています。写真とかも適当に載せたい。

あと、昔のをみてて、お金の余裕って精神の余裕に直結するなあと思った。俗っぽいですね。

 

 

先日、ずっと気になってたチョコレートを買いました。

武者小路実篤記念館さんのチョコレートボックス。たいへんかわいい。

カンカンが武者さんの絵+言葉なのほんとにいい。去年から絵柄がバラになったらしく(その前はカボチャなど)、人気が爆上がりしたのはそれもあるだろうなあと思います。今年は赤と白のバラが高級そうな花瓶に投げ入れられている絵。かわいい。

 

じつはこの数週間前に我孫子の白樺記念館にも行っていたのです。ただ、まだチョコレートは売っている時期じゃなかったので志賀直哉の文庫を2冊とレターセットだけ買ったのですが。

通販をしてるのを初めて知ったので、これは買わねばなるまいと思って買いました。本体価格より送料が高いの、バグか?と思いながら。

 

なかみはこんなかんじ。

チョコレートはモロゾフ。安定の美味しさ。もちろん全部食べたりはしていません。ちまちまと食べ進めています。

 

こうして、文豪ゆかりというか、文豪のエッセンスを取り入れたグッズを記念館さんが販売してくれるの本当にいいなと思います。太宰治チョコレートも販売してくれないかな。絵があんまり残ってなさそうだからなあ。

 

今月から、夜勤に入ります。ついでに休日も土日じゃなくなり、製造期間が終わるまでは祝日もありません。耐えられるかしら。頑張るだけ頑張ってみようと思います。

できれば、ここも2日に1回くらいは更新したい。

8/29

つかれてきた。

夏だからだろうなあ。なんか疲労感がすごい。

そもそも夏休みって、夏の暑い時期に活動しなくていいようにってやつなのになんで研究室は休みにならないんだろうな。


本を読んだ。

今はエッセイとかが読める時期だと思う。ていうか、それ以外読めない。エッセイも読んでてすぐ疲れてしまう。

いやだな〜。今週も来週も土日バイトがある。代わってもらうとそのぶんどこかで代らないといけないかな、と思うと代わってもらうのもなんかいやだし。


ワクチンうつのやだなあ。熱出したくない。


新幹線でかえると、なんか、私ならお金かかるし、鈍行で行くけれどねって冗談めかして言われるのもきつい。


しょうじき鈍行は体力的にきついんだよなあ。


体力というか精神というか。帰って早々寝込んでいいならいいが。


なんか、泣きたい気分がずっと続いている。

こうやって文字を打つのだけでへとへとになる。

8/8

死ぬほど悲しい。


悲しいというか心細いというか、寂しいというか、もう、早く死んでしまいたいような、それでも生きていたいような変な感じ。

月のもののせいだろうけど。


こういうときは、嫌なことばっかり思い出してしまって、たいてい人間関係というか、そういうことなんだけど、自分が悪かったのか、相手が悪かったのか、よくわからなくなるし。

数日も経てば解消されるようなものだと頭ではわかっていても今この瞬間の憂鬱にまかせて取り返しのつかないことでもしてみたくなる。


髪が長かったら切っていた。


誰かに助けてほしくて、でも誰もそんなふうに、私に構って、慰めてくれるひとなんていやしないのだ。


時間の無駄だもんな。


そういうのを人に強いてしまうのがいやで、そういうのが無い関係を作ろうとしてたのは他ならない自分なのに。自業自得ばかり。


さびしい。


ほんとに泣きそうになってきた。バイト先なのに。バイトの仕事ほっぽりだして(やることはやってるけど)こんなの書いてる。


とりあえずやめよう。



7/4

あしいたい。肩もいたい、体がなぜか熱い。不快。とても不快。


お金がほしいです〜〜。

親からの仕送りがいま、月に3万5000円かな。

少し前から4万になったんだっけ。

光熱費水道代ガス代を引くと、一万円くらいさっ引かれて、だいたい、2万5000円〜3万円。

それで、一ヶ月の生活費。

つまり一週間で、いくらだ。6千円〜7千円か。一日千円以下。

うーん。無理でしょう。自炊しようにも時間が足りない。かろうじて、そこそこ安いもの買ってきて朝と夜を家で食べたところで、昼ごはんまで作れないから基本買うことになるし。生活必需品も足りなくなるのだし。

だからバイト代も生活費に当てていたんだけど、それだけじゃ遊ぶお金足りないから、カード使いますよね。負債が、まあ、たまりにたまっちゃって。


先月、新しくバイトを始めて割と頑張ったら、前からやってるのと合わせて合計で3万円くらいは稼げた。


はあ。無理では。


ちゃんと計算したら、負債というか、払えてなくて家賃を使っちゃった分がちょうど二ヶ月ぶんくらい。7万円くらい。


バイト代がひとつき3万円。家賃だから毎月引き落とされる。わけ。


カードの負債もある。今回は、帰省した時の交通費が痛かった。新幹線を使ったから高いのだ。片道5千円と少し。


帰省した時ありがたくも祖父母に貰った2万円を、そのままATMに突っ込みました。その前にかろうじて貯めてた1万円も。バイト代は全部入れて。

それで、ようやっと、カードと家賃がまかなえた。

あと二ヶ月。どうしよう。


遊ぶためのお金が欲しくってラインしたら、もらったやつどうしたの?って聞かれて、答える気が、失せた。


平日、10時から6時まで研究室に行くことになってて、休日は最近ずっとバイトで。休む暇もなくなってきて。

自業自得だけど、休みたい。遊びたい。

でもバイトに入らなきゃこまる。


なにが、一週間、5千円でやりくりしなさい、だ。

無理に決まってるじゃん。


バイト代を遊ぶお金に回せるなら、こんなことにはなってない。基本的に半分は生活費に回さないと困る。なにか、遊びに行ったりしたら、それだけで一気に困窮することになる。

そんな生活到底耐えられそうに無くて、カードで先送りにばっかりしていたツケが今回っている。


でも、なんで、なんでなんだろうか。

もういっそのこと、自分の身体になんか興味がなかったら、売ったってよかった。怖いし、絶対に傷つくから、やらないけど。やれたら、よかったかも。


親、余裕でやりくりできると思ってるみたい。

姉がそうだったから。だろうか。

一年の時、すでに、毎月、引き出しちゃいけない家賃のところから引き出してしまっているのを見れば、わかるでしょう。足りてないの。わからないんだよな。


図々しいと思われても仕方ない。ぜんぶ親のお金だもの。でもさあ、お姉ちゃんに比べたら、かかっていないはずだろ。

学費も、さすがに院に行ったって、合計でもたぶん安いはず。私立よりは。成人式だって。卒業式だって。大体、小さい頃から親が預かっていたお年玉もまだ貯めてあるのでしょう。就活だって、時期の問題だけど、ぜんぜんお金使わなかった。のに。

給付金はもらえなかった。いらないでしょ。ってさあ。ほしいよ。人間ならみんなもらえるんでしょう?ちがうの?私はもう成人してるんじゃないの?


少しくらい、わがままに使っても、いいでしょう。だめですか。だめなんでしょうか。


国公立に受かったのも、就職が決まったのも、運が良かったから。なんて言いたくない。頑張ったからだと思われていたい。わたしの、努力の結果だから、その分、優遇してほしい。

末の子にはお金を使うなんて嘘だ。わからないけど。お下がりで事足りる、便利な存在でしょうよ。

使われていることは思い返せばあるんだろうけど、それでも。我慢してみたことと、相殺できるくらいのものじゃないのかな。


嫌になってきた。

お金どうしよう。まだあるけど。まだ。

足りないんじゃなくて。なんだろう。この、焦燥感が、いやだ。

遊ぶくらい好きにさせてほしい。

色々楽しみなさいよっていうわりに、もとでがないんだから。


姉たちと比べてしまう。

どうしても。

本当にこんな状況でも、姉2人、ちゃんと自立して生きていけていたのかしら。本当に?毎日学校行って土日でバイトするの?真ん中は知らない。ばけものなのかも。


しにたいな。

喉が痛いし、くしゃみも出るし。ついでに、生理は来ないし。だるいし。

休みたい。休みたい、とにかく。連休もバイトに入らないとまずい。でも休みたい。寝たい。家に閉じこもって泣きたい。


寝られない。