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ただひたすら愚痴というか文句を書き連ねているだけなので…ご容赦ください。


お金に余裕がないと人って精神不安定になるんだなあと思いました。


物心ついた頃から今までのお金にまつわる嫌なことばかり思い出すので、せっかくだし書いておこうかなぁと。


小さい頃、うちにはお金がないんだと思っていました。

私が着ていた制服とか私服は、ほとんど姉のお下がりだったので。

中学校や高校の制服、ジャージ、鞄やスウェット、スカートに至るまで、お下がりばっかりだったような気がします。

中学の時、1番上の姉のジャージがぼろぼろだったので新しく買ってもらったことは覚えています。

別にお下がりが好きなわけでもなくて、単純に、お下がりでいいという姿勢でいるとどうも喜ばれるとなんとなくわかっていたので。

ねだることは良くないことなんだと思っていました。


中学くらいだったか、親に、お店で見た品物に、でもこれ高いよ。と言うと、大きい声でそういうこと言うもんじゃありません。と叱られた気がする。

だって、うちにはお金がないんだと信じ込んでいたんだから、金額を気にしてしまうのは仕方ないと思うんですよね。


私は不注意で、よく物を壊す子だったのだと思います。ガラスの品物なんかを手に持つと、早く戻しなさいと、叱られました。

そうして、要領が悪いね、と怒られることがたくさんありました。何が悪かったのやら、覚えていません。


私が背ばかり伸びて、それでいて活発に動いたりお手伝いをしないので、[うどの大木]と言われたことがあります。今でも覚えている。冗談だったのでしょうけど。


中学の頃、友達と遠くまで遊びに行くことは駄目なことでした。

一度だけ、卒業の前に、岐阜駅まで遊びに行ったことがあります。親に内緒で。言ったら、絶対許可してもらえなかったから。うちではお小遣いもなかったので、自転車でみんなと走って、駅についても何かするでもなくて、お店をたくさん覗いて帰りました。

親にばれて、すごく怒られました。お母さんにはよく叱られていたけど、お父さんまで本気で怒ったのはあの時が初めてだったかも。でも、どうしていけないのか、なんて、中学生に納得できやしないでしょう。いい子だった私はすっかり縮こまってしまって、怖くなってしまいました。すごく深刻に、嘘をついてはいけない、って叱られました。正しいと思います。嘘をつかれたら、親にはどうしようもないから。でも、そんなふうに叱られてばかりで、嘘をつかないでいられるわけもなかった。

本音を言ったら叱られるなら嘘をつくしかないでしょう。

理不尽だと思います。


中学から高校に上がって、制服は姉のじゃなくて近所のお姉さんのお下がりで。中学の頃から周りのみんながお小遣いをもらってやりくりしているのを、なんとなく、いいなあと思っていました。

お金がないんだからしょうがないとはその時はもう思っていませんでした。うちはちゃんとしている方なんだとわかっている時期でした。

遊びに行きたい、とか、文具が欲しいと言えば、お金をくれたり、買ってくれたりはしました。でも、私はそのおかげで、物の相場なんてわからないまま高校時代を過ごしました。

親に連れられて、スーパーやアウトレットなんかのお店に行くことも増えたので、わかると言えばわかるのですけど。自分でやりくりすることがないと、実感がわかないものですね。


お下がりの制服は、ひょっとしてお下がりでなくてもそうなったのかもしれないけど、卒業間際には袖や裾がほつれてきて、嫌でした。


受験勉強をするうちに、私はだんだんいい子じゃなくなってきました。

でも、お金に関しては何にも言いませんでしたよ。確か。


姉二人は私立に行ったので、頑張って国公立に行ってねと言われました。お金の話もありました。私立は、高いんですね。その頃の私はぼんやりとしか聞いていなかったけど。


結局、国公立大学には入れました。親は少し不満のようでした。第一志望には入れなかったので。あの頃からどうも、何かおかしくなってきた気がします。


大学に入って全部自分でやりくりしないといけなくなって、逆に言うとできるようになって、浪費癖がつきました。

つくづく駄目な人間だと思います。思うけれど、仕方ないような気もします。お金の使い方なんてぜんぜん知らなかったのだから。

使えるだけ使いたかった。

でも、初めの頃は、ちゃんとアルバイトして貯金しなさい。という親の言いつけを守っていた頃もあったのです。

無理です。

アルバイトを始めて、貯金をしてみても、結局使ってしまうのです。

好きなこと、欲しい物、がどうも我慢できない。

一週間五千円で過ごして、バイト代を貯金しつつ少し趣味に使う。みたいな、堅実なくらしはどうもできませんでした。

親はそれを望んでいたみたい。一週間の食費は五千円で、遊びに行くときにあたらしく五千円引き出すみたいにしてね。ってさ。

光熱費で一万円くらいは使うので、二万円と五千円で、四週間。

無理。バイト代も生活費にあてました。でも、趣味にお金を使うのもやめられなかった。クレジットカードの支払いばっかり滞っています。


親は、多分、10時から6時まで研究室にいたって、その後の時間で買い出しにも行けて、料理ができて、毎日お弁当だって作れると思っている。

母親は確かにそうしていた。父親も多分、ある程度はできるのだろうな。姉も。なんで私はこうなんだろうか。


1番上の姉は結構お金は使ったし失敗もしたようだけど、欲しい物を買ったら別のものを売ったりして、軽やかに過ごしているようでした。そう見えました。アルバイトもたくさんしていたのでしょう。真ん中の姉は、仕送りに手をつけないで、家にお金を入れていたらしいです。意味がわからないですね。どうやって生きているのでしょう。


親に言われました。

あんまり無駄遣いしないようにね。何に使っているのって。


知りません。

なんて言ったらまた怒られるのでしょうね。


成人式の着物はお母さんのものを使いました。

いまだに、新しいもの、綺麗なものをねだるのには抵抗があります。

お母さんたちも大変なのだから、せめてもの罪滅ぼしのつもりでした。

一番上の姉はレンタル、二番目は買っていましたけど。

別に良かったのです。まだ、自分に自信なんてなくて、自分にお金を使うなんてもったいないと思えていたから。

きれいな、はんなりした、春色の桃と薄紫の振袖。私の趣味でなくて、多分似合ってもいなかったけれど、少しくらいいい娘を演じてみたかった。


お金が足りなくなると、不満ばかり出てきてしまう。

仕方ないことだけど、姉たちは私立に行った。私は頑張って、もしくは運良く、国立に行けたのに。部屋にある家具や家電だって、半分以上は姉や、単身赴任したときにお父さんが買ったもののお下がり。たしかに院には進んだけれど、トータルでも私立よりは高くないはず。家賃も、そんなに高くないところにした。成人式の振袖だって、小物しかお金はかけませんでした。卒業式の袴も、結局のところ着ることはなかったけど、周りのみんながレンタルで可愛いものを選んでいる中、私はお母さんのを使うつもりでした。袴だって、母と二番目の姉が買ったお店で、お安く借りられる、出来合いの、ただの紫の袴にするつもりで。

それで、結局、お母さんが見てるのは私生活のことだけで。院に進んだ時点でのお金は将来返してね、っていうことらしい。


なんなんだろう。どうしたら良かったんだろう。


早く仕事がしたい。色々言ったって、確かに親のお金で生かされているし、無駄遣いだって多いのです。早く仕事をして、自分のお金を持てるようになりたい。そうしたらもっと、楽なのだろう。


就活の費用だって、わたし、オンラインでしか受けていないから、姉たちより、移動費も何もかかっていないのに。


コロナでアルバイトが減っちゃったので、今使っている鞄なんかはぜんぶ1番上の姉のお下がりです。

あーあ。

早く仕事がしたい。


早く、自分のためだけのお金が欲しい。

でも仕事したって結局満足にはもらえないんだろうなあ。


身体でも売れば良かったのかな。

絶対に嫌だけどね。