末っ子ということ
最近ちょっと私とすんごく考え方が近いバイトの後輩とお話ししたので、忘れないようにメモしておこうかなあ。と。
色々話したんですけど、やっぱり一番印象に残ってるのって、末っ子ってことなんですよね。
その子も私も末の子で。ちょうどお姉さんが婚約した寂しいみたいな話から繋がったんですが。そういえばそうだね、二人とも末っ子だね。みたいに。
姉が婚約するとものすごく寂しい。昔のこととか思い出してしまって泣きたい。でも幸せになるんなら絶対邪魔したくないよね。って言って。
長女として生まれついた方のお話を聞いていると、お姉ちゃんなんだから我慢しなさいとかよくある不満から、最初の子供だから親も勝手がわからなくて失敗しやすいとか、妹の面倒見なきゃならない、お金もあんまりかけられない。みたいなお話がそこここに転がっているんです。
次女についてもあんまり変わらなくて、真ん中だと肩身が狭い、だとか、あと、放置される時間が長かったり。節約されたりとか。するらしいです。
そして、末っ子。
そういうお話を聞くたび、聞くたびに、申し訳ないことをしたなあ。って思う。私が生まれてこなかったら。私が末っ子じゃなければ。これまで、生きているだけで姉を不幸にしてきたのだろうなあ。なんて、常々思うのです。
私だけ、恵まれていて。ごめんなさいって。
別段、家庭で姉からそういうふうに言われたことはありません。むしろ、ひょうひょうとしてるふうにみえるんだけど、じつは頑張ってて自慢の妹ってメッセージもらったことあります。うれしすぎた。
でもね、一般化してしまうんですよね。
だから自分が吸い取ってきた幸せ分、いくらでも幸せになってほしい。
注がれた分頑張って返すぞ、って意気込んで生きていける人ならもうすこしましだったのですけど、そうもいかないだめな人間なので、幸せを願うしかない。
これ以上、邪魔されないで幸せになってほしい。長女で、次女でよかった!って思うくらい幸せになってほしい。そんなこと思わないくらい幸せになってほしい。
そうじゃなきゃ本当に生まれてこなかったらよかったと思うしかなくなるから。
末っ子は恵まれている。多分、お金もいちばん使われている。あくまでわたしの家の話ですが。甘やかされて、叱られもしたけど。割合、甘かったと思う。馬鹿なのでそれに甘んじて、甘えぐせもついてしまった。今更治せない。
返せばいいのにね。それができれば一番いい。いきいきとして、いいところで働いて、たくさん稼いで、結婚して、孫の顔も見せて、親にも姉にも、記念日に素敵なプレゼントをしたりして。
そんなのできない。
そんなのできるんなら、生まれてこなかったらよかった、なんて、思わない。たぶん。
はやく、はやく死んじまいたいな。生まれてこなきゃよかったなんて思う自分は。
末っ子でよかった。って思うことはたくさんあった。心の中で感謝もしてる。すごく感謝してる。こんなしあわせ滅多にない。でも、やっぱり、生まれてこなきゃ、もっと楽が出来たんじゃないだろうか。とおもう。姉も。両親も。せめて私じゃなかったらなあ。
おまえじゃなかったら。
それはそれとして、愚痴もあった。末っ子はあれはだめこれはだめ、って結構言われるのだ。お姉ちゃんたちの経験からわかるのだと思う。おかげで、確かに失敗らしい失敗は少なかった。
それで、だめ、だめ、これはよくないよ。こっちとこっちのうち、どっちがいい?っていわれて。怖いので怒られたくないし、悲しんだり怒った顔なんて見たくないから、言うこと聞いて、選択肢は用意してくれているから、そこから決めたらいいんだ。ってたくさん学んで。
それでいざ、あとは自分で決めなさい。ってたくさん選択肢を投げ渡されて、一体どうしたらいいのか、何にもわからなくなってしまっているわけです。
昔のことを思い出した。ピアノを長いことやっていて、幼稚園から小学校にあがって、高学年かな。そろそろ自分だけで楽譜読んでみようか。ってなって、わたしはつまづいた。それまでお母さんが全部教えてくれていたから。和音が全然読めなかった。ごめんね、教えすぎたわ。って謝られて、困ってしまって。
そんなかんじ。
あやまられたって、私が悪いよ。としか言いようがないのだ。だって、甘えていたのだもの。
自分でやろうとしてこなかったから。でも、ねえ、やらせてくれなかったじゃないの、なんて言えるのは大変なご家庭でがんばった子だけ。わたしは、やろうと思えばできたんだろう。思わなかった。
たしか、勉強は姉たちより出来た。でも、できたって何にもならなかった。長女は芸術の人だからあんまり思わなかったようだけど、次女は随分不貞腐れていたらしい。
でも、私からしたら社会に適合して、将来の夢を持って。挫折しても立ち直って、立派に仕事しているあなたのほうが、何百倍もすごい。
いつか、ちゃんと伝えたいのだけど。せめて私が自立してからにしたい。
誇る気持ちはないではなかった。姉よりできたら褒められる。でも姉たちは、ずっと、いつでもキラキラしたものに見えていた。憧れだった。なりたいと思ったわけではないけど、きっと私は敵わないんだろうなあってずっと思っていたし、これからも思う。
それを不幸とは全く思わない。尊敬できる姉、素敵なことではないか。
でも、少しだけ、それならどうして私が要るのだろう。と思う。
何にも、わからないのに。甘えて甘えて、幸せを吸うばっかりで、いざ、さあ自分の足で立って歩きなさい。と言われたら立ち尽くしてしまうような。要らないのでは。
なんにもできない、生きてるだけでお金を使ってるのに、なんで生きてるんだろうって一度だけこぼしたことがあった気がする。
親に。
そんなこと言わないでいいんだよって言われて、私は、納得できなくて泣いていた。
こんなに幸せで恵まれているのにこんな感情持ってはいけない。待つ意味がない。変なんだと思った。
姉が幸せになることを望んでいる。両親も。祖父母も。友達も。
幸せの邪魔をしたくないから、絶対に自殺はしないだろう。痛いの嫌だし。炭酸も飲めん。貧弱ですよね。
でも私が死んで、家族や友達がみんな幸せになるなら、きっと、まあ、たぶん。おそらく。いやだけど。
完全に自己犠牲的ではなくて自己愛がすごく大きいから、こんなにぐらぐらしているんだと思う。
好きに生きていたい。迷惑かけてもしらない。全部いやだ、自分もいや世界がいや、好きなことと自分のためにともかく生きている。
みんなが幸せになってほしい、自分が食い潰したぶん、お返ししたい。幸せで恵まれてるんだから、人に優しくしたい、疲れてる人を助けたい。
どっちも本音なのだと思っているけど、どっちも本音じゃないのかもしれない。
外側から心を観測する機械はないものだろうか。まあそんなものあったら、きっと生きるのがもっと嫌になってしまうけど。
気づきましたか、全部主観なのを。
社会的でなく、個人的な自己中心的とはこういう人のことをいう気がするのです。
客観視などできないのです。
わたしの好きな人、全員、幸せになってほしいなあ。苦労なんてしないでほしい。
生きてるのが辛い。って思うことも肯定したいのに、幸せになってほしいなんて考えるから矛盾するのでは。
趣旨が、ずれました。ともかく、末っ子は、恵まれていて世渡り上手の甘え上手、らしいですが、それを、何の気なく享受しているわけではなかったなあ。いちおう。という話をしました。
たぶん考え過ぎ。いつものことです。