12/22
久しぶりに。
嫌なこととかがあったわけじゃないんですが、いろいろなことをやる気がまったく起きないのと、寂しいので。
最近、研究室で実験をやる気が起きなくてずっとスマホをいじったりパソコンで調べ物ばかりしているので目が疲れてしまっています。
そのせいか肩がこって頭が痛いです。
最近良かったことは、文アルのティーカップが届いてたことです。すごくかわいい。使うたびにテンションが上がります。
実は内向的なんです、みたいなタイトルの本を立ち読みしてしまいました。
ほんの少しのつもりだったんですけど、全部読んでしまった。いつか買います。
内容は面白かったし、こういう人やっぱりいるんだと思ったので。
あと、書き言葉に嫌味なところがなかったので。
どうしてもなにかしら自分のことを書こうとすると、わかってください、こんなに辛いんです。みたいになってしまってわたしはあまり好きじゃないのです。
自分の身に起こった良いことを誰かに言うのが苦手だと気づきました。
誰かに説明しようとすることで、何かをぼかしたり、論理的に組み立てて説明したり、既存の概念や言葉に当てはめなくてはいけなくなるのが、とても苦手。とくに、即興では。
悪いことを説明するのも苦手なんですが、良いことはもっと苦手です。その時感じたこととか、そのことで自分に残った快いものが、口を開くたびに段々抜けていく感じがします。
見る人が見たら、それは、実態がないからだ。と思うのかもしれませんけど。
実態がないものを後生大事に持っていたらいけないんですかね。
でもなんだか誰かに聞いてほしいような気にもなるので、不思議です。
その点Twitterっていいですね。
考えすぎているのかもしれません。人を傷つけたり、嫌な気分にさせないように。でも、重要なことはいっさい取りこぼしてしまっているような気もして。
そして重要なことって一体なんでしょう?と言われたら、よくわからないんですよね。
そういえば最近、また、最近ですね。心がこもってないなって言われて。わたしの喋り言葉?ってすごいどうでも良さそうに聞こえるらしいんですよね。
ちょっと心外って怒りましたけど、でも、ぶっちゃけた話、本当にどうでもいいと思ってるのも否めないんです。
でもそれと同時に、本当に思ってると感じてもいるので。
例えば、オンラインショップの服を見せられて「可愛い」って、本当に可愛くないと思ってるものには言いません。そうは思ってるけど、どこかで、どうでもいい。面倒。と思う奴もいることは事実。でもそれって服に対してではたいていなくて、わたしが言葉を紡ぐことに対するどうでもよさ、面倒さな気がする。
同時並行でそんなことをたくさん考えている。
話すのが億劫なんです。
話すのが億劫ってやばくないですか?
本当に話すのが億劫なんですよね。
あの、内向的な本に書いてあったんですけど、誰かとたくさん話した後はたいてい疲労困憊してぐったりするというの、みんなそうじゃないんですかね。
一緒に書いてあった、会話のための会話は本当にどうしようもなく疲れる。と言うのも、いくら親しい友人でもそれは起こりうるけど、というか起こるけど、それでも会いたいから、会う。というのも。案外、そういう人って多いんじゃないのかな。
でも口調にどうでも良さが滲み出るのはよくない。だからって繕おうとすると疲れますね。
まあいいか。
左目の違和感がどうしても消えません。勘弁してほしいですね。痛くはないけど違和感があると不快です。抉り出せたらいいのに。